2008年5月12日

【ヴィリニュス】ジェノサイド博物館

新市街の大通り、ゲディミノ通りを旧市街から西にてくてく歩くと着く。
「地球の歩き方」にはKGB博物館て書いてあったのに、
行ってみたらジェノサイド博物館だった
(確かに、地球の歩き方でも現地語表記はそうなっている)。

ソ連時代、ここはKGBの施設だったらしい。
このあたりはソ連時代あたりは官庁街だったぽいので、KGBの施設があるのは、まあ自然な流れだ。
で、今は地上部分はジェノサイドの記憶を留めるための博物館、地下は昔のKGBの監獄が公開されている。

「じぇ、じぇのさいど、って虐殺?」

とちょっとおびえながら入っていくと、
地上部にはナチス、ソ連などによる占領と強制移住、強制収容所、レジスタンス活動や当時のKGBの組織や諜報活動の資料などが展示されていた。
ジェノサイドをwikipediaで検索すると、ジェノサイドは「特定の集団の抹消行為」を指すらしく、
何も手段は殺人には限らないようだ。
ちゃんと英語の説明もついているので、根気よく取り組めば、当時知ることのなかった
(それは年齢と興味のせいもあるが)ソ連の中身が見えてくる。はず。

そして地下は監獄。
・・・・・・多分、「見えちゃう」人は行ってはいけない場所(建物自体に近づけない?)。
獄房自体は、実は想像したほどひどいものではなかったが
防音クッション完備の尋問室とか、
ソ連がこの国から引き上げる際にシュレッダーにかけた秘密書類の袋だとか、
とにかく陰惨な感じが漂いまくっている。
そして、死刑が執行された地下室もある(ここは英語の説明が少なくてよくわからない)。

博物館を出て明るいゲディミノ通りを歩きながら、
そもそもの社会主義が描いたものはこんなものではなかったはずなのに、
なんでこんなにも恐怖政治、独裁政治の一形態になってしまったんだろうなあとやりきれない気分にしまった。

ちなみに。
彼らにとっては、ソ連邦であった時期は「占領されていた」という認識であるらしく、
同様の博物館がリーガとタリンにも存在する。
しかしこれらはどちらも「占領博物館」であり、
「ジェノサイド」と銘打っているのはリトアニアだけ。
リトアニアの民族構成はラトヴィア・エストニアに比べるとロシア人比率が低い。
そのために遠慮のないネーミングであるのかもしれない。


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