2007年9月 1日

祖父の通帳

前回からの「あの戦争」つながりで。

そういえば知らないのだが、徴兵されたときって給料ってあるの?

何年か前、母の実家に帰ったときの話。
「こんなもんが帰ってきた」と祖母が出してきたのは、セピア一色刷りで兵隊さんの絵がついた、
戦時中の外地向け通帳。

祖父はまだ大日本帝国軍の旗色がよかったころ「これは儲かるか?」と
建築系の技術者として南方に赴いた。
敗色濃厚になりジャングルを逃げ惑った挙句、オーストラリアの収容所を経由して
その後無事帰ってくることが出来た。だから今私がこうして存在している。
捕虜となったとき、金目のものは全て巻き上げられたらしいが(おい)、
最近になって「名前のわかるものは返そう」という動きが出てきて、
この通帳が未亡人となった祖母の手にかえってきたらしい。
中を開くと、鉛筆書き(!)で「給与 ○○円」などと書いてあり、最終的には2000円ほどが
貯金されていた。

祖母が郵便局にこの通帳を持って言ったところ、いまでもこの通帳は有効だが(それもすごいな)、
現在の2000円にしかならないとのこと。
それで「無効」のパンチングをされてしまうくらいなら記念に持っていたらどうですかと勧められ、
当時の姿のまま、私の目にも触れることになった。

私が知る生前の祖父は、戦争の話は「怖い」といって、ほとんど語ることがなかった。
母にも語ったことはなかったらしい。

怖いのは死の恐怖だったのか、それとも極限に追い込まれた自分自身だったのか。
それらを包含した、戦争そのものというのが、一番正解なのだろうけど。
若き日の祖父は、南方で通帳を見るとき、日本の妻子を思い浮かべてにんまりしていたに違いない。
当時の2000円って、相当の額だと思う。
帰ったらこのお金で何を買ってやろうかとか、考えていたんじゃないだろうか。
私の知る祖父は、そういう人だ。

セピア色の、今はほとんど無価値となってしまった通帳は、あの愚かな戦争に無数に内包されていた、
ささやかな幸せを求める心を象徴するようで、
とても切なくて、悲しい。

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コメント

いやあ印象深い話だ。

古い時代の貨幣は現在の貨幣と等価交換しかできないんですよね。
当時2000円貯金するって相当だと思う。
そして今になって返してくれる豪政府もすごいなあ。

まあ返してくれるだけましですが、
wikipedia見てみたら当時の国際条約に
「捕虜のもの勝手に取るな」
という一文がありました。
(違反したからといって、それを裁く方法はほとんど無きに等しいらしいですが)

全然追い込まれていない国のやることですらこれです。
国はもしかしたらそういうことを禁止してたかもしれないけど
結局個人は抑えられないわけで(これは最近の戦争でも証明されてるな)、
完全に正義になんて誰もなりえないんだから、
そういう意味でも大義名分振りかざした戦争なんてしちゃいけません。

思い出したので補足しておくと、帰ってくるものの中には
名前の裏書がある写真なども含まれるようなので
巻き上げられたのは金目のもの限定ではないようです。

どっちにしろ帰国の時に返しておけよとは思う。

徴兵されても給料はありますよ。
イメージとしては「無理やり兵役に付かされる」のではなく、
「無理やり軍人という職に付かされる」に近いものです。
軍隊は基本的に衣食住完備かつ時間的物理的拘束がきついので
自分のお金を使う機会がなく結構溜まるそうです。
かつての日本は軍人をいろいろ厚遇していて給与面でも
そうだったみたいです(諸説ありますが、徴兵された人が
すずめの涙ほどの給与でこき使われたという話はあまり聞きません)。
それに比べたら、今の自衛隊の一般隊員の給料はもっと良くてもいいと思う。

おお、給料はでるのか。
まああの戦争末期、お金があったところでどうだというのか…
てかんじですが。
それにもらうのは現地だと思うけど、送金てどうしてたんでしょうね?

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