2006年10月 9日

女大学 「七去」

されば婦人に七去とて、あしき事七ツ有り。
一には、舅姑に順(したがわ)ざる女は去べし。
二には子なき女は去るべし。是れ妻を娶るは子孫相続の為なれば也。然れども婦人の心正しく行儀能(よ)くして妬心なくば、去ずとも同姓の子を養ふべし。或は妾に子あらば妻に子なくとも去に及ばず。
三には淫乱なれば去る。
四には悋気深ければ去る。
五に癩病などの悪き疾(やまい)あれば去る。
六に多言にて慎みなく物いひ過ごすは、親類とも中悪く成り家乱るる物なれば去べし。
七には物を盗心有るを去る。
此七去は皆聖人の教也。女は一度嫁して其家を出されては仮令(たとえ)二度(ふたたび)富貴なる夫に嫁すとも、女の道に違いて大なる恥なり。

女を離婚していい七つの理由だってさ。
舅姑に従わなかったらデテケ!と。まあ、その女性の性格がもともと乱暴もんで夫の両親に礼儀も人情もないってんならまあそうかもね。

第二、子供が生まれなかったらデテケ!・・・なにその因縁。
夫婦の間に子供ができない原因が男と女のどっちにあるかなんてのは生理解剖精神病理の問題で、今日の医学でもはっきりとは原因がわからないじゃないか。
子供ができなかった女性が再婚したら子供ができる事だってあるし、浮気者の男が妾何人も作ってても一人も子供ができないこともあるじゃん。
そういうこと全然考慮に入れずに「女が悪いから子供ができない」って、どんだけ頭悪いんだ。
子供がいなかったら離婚、ていうなら、婿養子に入ったのに妻が子供を産まない時は子のない男はデテケって追い出せよな。
・・・てことになるからか、この著者もちょっと付け足しで「婦人の心正しければ子なくとも去るに及ばず」て書いてるけど、一体何が言いたいのかわからん。
深読みすると、最初に「子なき女は去る」って宣言しといて最後に「妾に子があれば」去らなくてもいいって、それはつまり男は妾作ってもいいよってことで、妻に非難の余地を与えないようにしておいて、明言避けつつ妾推奨してるってことじゃないのか?
確かに、昔大名が妾を作る時ってのは妻から差し出されるという体裁とることがあるよな。自分が醜態さらすのにそれを妻のせいにするって、陰険だよな。著者がまた毒もった書き方するからさらにやな感じ。

第三は、「淫乱なれば去るべし」・・・これまでこの国で、男と女、より淫乱なのはどっちだ?まあどれくらい願望があるかってのはおいといて、実行するのはどっちが多いかなんていうまでもないだろう。もし男女同様に淫乱なら離縁されるってんなら、男の方が離縁される奴は多いはずだ。なのに女大学は女の淫乱だけをとりあげて離縁の理由にしている。見当違いもいいとこだ。

第四は「悋気深ければ去る」・・・これもようわからん。夫婦なのに夫が浮気性だってなら、それは妻に対する虐待だ。結婚の契約をした妻がそれを責めるのは正当防衛だろうが。まあ、濡れ衣や過剰反応もあるかもしれないが、これが「悋気深し」か?それでもそんなもんは直接の離婚理由にゃならんだろう。

第五、「癩病などの悪い疾病あれば去る」ってふざけんな。そんな伝染性の病気、人間誰だって罹ることはあるだろうが。本人には何の罪もないじゃないか。なのに、女がたまたまこういう病気になったらハイ離縁ってどういうことだ。その夫でちょっとでも優しさってもんがあるなら、離縁はおいといて手厚く看病してちょっとでもよくなるのを願えよ。逆に夫が癩病になったらどうすんだ。妻はそれを見捨ててさっさと家を出てっていいのか?それは私はどうかと思うぞ。著者だってそんなことは考えてまい。昔話なんかには、ひどい病気にかかった夫をかいがいしく何年何十年と看病し続ける妻が持ち上げられている。この著者なんかもこういう話大好きだろうな。つまり、重病患った妻は冷たく離婚、夫が重病患ったら妻は看病しろってか?わけわからん。どういうことか小一時間問い詰めたい。

第六、「多言にして慎みなく(以下略)」・・・漠然としすぎててよくわからん。要するに女がおしゃべりだと親類との付き合いが丸くおさまらなくなって波風たつから離婚しろ、ってことだろうけど、多言とか無口とか、どういう基準で判定するんだ。有る人におしゃべりって思えても他の人には無口と思われることもあるんだろうし、その逆もあるだろう。まあ本当におしゃべりだとしても、この一点でハイ離婚ってのはないだろう。

第七、物を盗む心有るを去る。盗むといってもどれくらいのもののことかわからんから、「盗む」ということだけで離婚てのはやりすぎだ。法律なんかを参照して決めたほうがいいな。

1から7までいろいろ言うてるが、つまりは女の権利権力奪って身動きできないようにして男の都合がいいように離婚できるようにしたいってだけのことだよな。
女大学は昔から女性たちの聖典みたいにあがめられて、娘を教育するために使われてきたものだが、それだけじゃない。女性がこの教えに従って小さくなってればなってるほど男に都合がいいから、男の方からこの女大学持ち出して自分の要望通そうとすることも多いんだよな。
とある男がもう常に他の女に手を出しまくるもんだから妻は色々と責めるわけだが、男はその妻をクリスチャンにしたらしい。目的はクリスチャンになれば嫉妬心がおさまるかなーってことだったらしいが、全然妻の小言は減らなかったといってがっくりしたとさ。
男で女大学ちっくなことをいう奴って言うのは、大体がこういう好色男で我田引水したいんだよな。女は絶対油断しないようにしないと。

・・・つづく。

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コメント

どちたー?(@チーズスイートホーム)
えらく古い文献に辿りつかれましたなあ。懐かし。

女大学は確か江戸中期あたりに出来たと記憶していますが、
当時は都市文化が発達した割には女性に対する教育というものが一般的に蔑ろにされていた時代だったために、
女性の道徳教材としてこういうのが作られたんだと
一歩引いてとらえていただければ。

そもそも当時の女は学なんかなくてええと思われていたわけで、
女が人生全うするために学ぶとすれば、人生最大の目的=嫁いだ夫や家と上手くやる術を身につける、
というのが最重要課題だったんでしょう。
そういう時代にこういうニーズがあったんだなあ、と捉えるものなんだと思います。

個人的にはこれが貝原益軒の作だというのには断固として反対したい。貝原好きなので。

うーん、万札さまも「女性にも教育を施そうという意図は評価する」
って言ってますが、中身がなあ。
最後なんか万札様曰く「罵詈雑言以外の何者でもない」
女はこんなにバカでどーしよーもないんだからしっかりこの教えを守れよ、と。
(うらさんがURL出してくれたのでぜひ原文もお読みくだされ。万札様もヒートアップしとります)
ほめ育てのホの字もないよ・・・。

人生最大の目的=嫁いだ夫や家と上手くやる
ちうより
=新たな嫁をこき使える姑になるまで奴隷として生き抜く法
としか思えん・・・。
そうそう、姑になったときの身の処し方って指示がないのよね~。

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