2004年9月18日

絶滅危惧種?

注:やわやわ(ちょっと前の記事参照)なはなしではないです。

「おやじギャグを思いつく人と思いつかない人の違いはなんだ?」という質問をされて、おやじギャグ代表(若いしおんなのこなのに・・・)こまちゃはこう答えた。
「まあ、同音異義語のボキャブラリーは必須ですが、おそらくは言葉をどれくらい意味から切り離して「音」として認識しているかではないでしょうか。「音」として認識すると、変換候補を複数出しますから、その正解以外のものがギャグのネタ候補です」

その場はそれで終わったのだが、小学生が小学生を切り殺した事件の記事を読んでいて、ふと不安に駆られてしまった。
加害者の少女は、インターネットや交換日記が唯一の「居場所」だったらしい。
これらは全て、音のない文字の世界だ。
この子が結果として起こした事件は特殊かもしれないが、これから先、喋るよりも書く(打つ)方が得意だとか、よほど時間が長いだとか、そういう子供が増えてくるに違いない。
すると、成長期が終了してからネット社会に参加したわれわれには実感としてはわからないが、その子たちの中に音で認識する種族はなかなか生まれないのではないだろうか。

そもそも、現在おやじギャグといわれ迫害すら受けるこの能力、古代から中世日本においては尊重されるものだったはずなのだ。
短歌が三十一文字で(私は常々音節と言い換えるほうが正しいと思っているが)それ以上のことが伝えられるのは、「掛詞」という、一つの音に二つ以上の意味を持たせた言葉を織り込んだおかげである。
必死でひねり出していた人もいるだろうが、私のご先祖様あたりはその才能を遺憾なく発揮していたに違いない。

時代をさかのぼれば上るほど、音そのものやリズムが占めていた重要性は上がっていくのではないかと思う。
下がりだしたのは、紙が高級品でなくなり識字率が上がり、情報の伝達が口伝に寄らなくなっていったからではないだろうか。

・・・するとやはり、我々はその時代の変化についていけず昔の方式に従う人々ということか。
「おやじ」ギャグという名称は、ある意味正しい。
Posted by kumakomacha at 10:15 │Comments(3) │TrackBack(0)

この記事へのコメント

言語が世界を分節し認識するための一手段に過ぎないということを前提として。

本の読み方には2種類あるらしいです。
文章→「音読(無意識に音読している黙読)」→音としての言語の認識→(文章が示す)世界の認識
文章→「視読(言葉の音を意識しない黙読)」→記号として言語を認識→(文章が示す)世界の認識

私は結構後者であるのですが。

こまちゃのいう「古代から中世日本」では、日本語(による世界の文節方法というべき?)を
記述する方法が未発達で(公文書として漢文をもちいるぐらい)われわれのご先祖は
自分の世界に対する認識を他者に伝える手段として「会話」、つまり音に依存した
言語をを選択せざるを得なかった時代でもあります。つまり選択の余地は無かったのではないかと。
転じて現代は、ペーパーメディアが蔓延しさらにはデジタルメディアが揺籃し
世界を認識する手段として音よりも視覚が多くなったのではないでしょうか?

さて、現在のデジタルメディアの限界は情報と個人の認識に「言語」を仲介しなくてはならない
という制限にあります。情報として存在する分節化された世界は言語を介して個人に伝達しなくてはならず、
個人の世界の認識は言語化することで情報として成り立ちます。
言語を仲介とせず、お互いの認識を直接共有することが出来るようになれば、
我々の相互理解はより誤解の少ないものになるのでしょうか。
お互いに正義を掲げ、争うことはなくなるのでしょうか。

ちなみに昨日からADSL。

Posted by おーり at 2004年09月19日 17:20


・・・こんなことしてる場合じゃないという説がありますが。
(荷造り最終チェック段階)

ひとことだけ突っ込み。
目指すところはNTてことになるんでしょうか。
でもあの世界十分争ってるよな。
(すいませんマニアックで)

ちなみに明日から探してもいません。
次の日曜にお会いしましょう。たぶん。

Posted by こま at 2004年09月19日 22:16


まにあうかな。。。
(来週でもぜんぜんオッケーなんだけど)

あの世界のテーマは
「人は次の段階へ精神的に進化しなくては人類も地球も持たない」
だと私はおもっています。
A氏もC氏も「人類すべてがNTになる」ことが一番の解決策だと
いっていますが、そこに至る方法論の違いで争ってますねぇ。
実は考えていたのは攻殻機動隊の電脳なお話です。
(すみません、もっとマニアックで)
さらには「言葉」が通じない人たちとのやり取りに疲れた。。。

ひとのblogで長文すみません。

行程の無事を激しく祈っています。

Posted by おーり at 2004年09月19日 23:15

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