2004年1月 8日

問題発言か?

つらつらと昔のことを思い出していた。
こまちゃは4歳半まで、甲子園あたりに住んでいて、そのころのことが私の原風景になっているのだと思う。
塀の破れ目からお友達のうちに遊びに行ったり、公園のかくれんぼでみんなで電話ボックスにぎゅうぎゅうに
入ってみたり(透明だが閉鎖空間なので隠れた気になったらしい)。
公園の向こうから、友達のおじいちゃんが「あいすくりん」といって手招いて
アイスクリームをおごってくれたり・・・

と、公園にまつわる記憶を手繰っているとき、突如忘れていたものがフラッシュバックで
思い出されてしまった。

公園でブランコに乗っていると、大きなおにいちゃんが近づいてくる。
もう声変わりしている声をだしているが、言っていることはわからない。
そして、突如そのおにいちゃんは私をブランコから突き落とした。
幸い、転がるように落ちただけでたいした怪我もなかったのだが、
その転がった姿勢のまま、わめきともうめきともつかない声を上げながら
去っていく、そのおにいちゃんの後姿を呆然と見ていた。

今思えば、私が初めて「理不尽」ということを知った事件ではなかったろうか。
同じくらいの子供同士、ブランコの取り合いをしたというのならわかる。
大きな子供でも、突き落としたあと、してやったりという顔でこちらを見ていれば
それは悪意ある行為だとわかる。
だが、なぜ、私が、その人にブランコから落とされねばならなかったのか、
まったくわからない。

母にこの記憶を確認したところ、この加害者は近所に住む、知的障害をもつ
少年だったらしい。
「しょうがないのよね」
と、母は言う。
たしかにそうだろう。
その少年も、その親も、生まれつきの障害など望んで持ったわけではあるまい。
だが、私の痛みと、恐怖と、怒りはどこへいくのか。
私は彼らにもまして、何の罪もないのではないのか。

思い出してしまったがために、私は最近この理不尽さについて考え続けた。
・・・・・・犯人の精神鑑定結果に泣く犯罪被害者の心境は、これの拡大版なのだろう、と思いながら。
もちろん、世の中にはたくさんの理不尽なことがある。
すべてに因果関係がはっきりしていて納得ずくで生きていけるなんてことはないことも承知している。
そう、たとえば・・・

そこまで考えて、私は不意につきぬけた。
これは、天災なのだ。
台風はどんどん近づいてきて好き勝手に荒らしてまた好き勝手に去っていく。
その下にいる人が悪いからでもなんでもない。
(聖書などではそうはいかないが)
人の形を取ってやってくるから人災だと思い、腹も立つ。
だが天災に腹を立ててもしょうがない。
せいぜい十分な備えをし、予測を立て、被害を最小限に抑えるしかないのだ。

トラックバックURL

このエントリーのトラックバックURL:
http://komacha.egoism.jp/cgi/mt/mt-tb.cgi/700

コメントする