コンスタンティノープルのヴェネツィア人
*ソースは塩野七生「コンスタンティノープルの陥落」の記憶。ちょっと不確かだが趣旨は間違ってないと思う。
1453年のコンスタンティノープル攻防戦には、多くのヴェネツィア人も派遣され、参加していた。
その中には命を落としたものもいれば、どうにか帰国できたもの、捕虜となり処刑された者、身代金と引き換えに解放された者もいる。
コンスタンティノープル陥落後は、通商で生きるヴェネツィアは、オスマン帝国を相手に
「あれは個人が勝手に参加したことで国としては関与していない」と言い切り(多分お互い信じてはいない)、通商相手をラテン帝国からオスマン帝国に切り替えて存続していく。
しかし、国内では、遺族たちには十分な年金などの補償がなされ、必要な身代金は支払って可能な限り自国民を取り戻した。
コンスタンティノープルのヴェネツィア人は、自分に何かあっても、国が後のことはちゃんとやってくれる、そう信じられたからこそ必死に戦えたのだという。
日本も、政府だけではなく、国民全体(国民ひっくるめて国だ)が、喉元すぎても熱さを忘れることなく
「国に尽くした人に報いる」国でありたい。
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