2011年3月19日

コンスタンティノープルのヴェネツィア人

*ソースは塩野七生「コンスタンティノープルの陥落」の記憶。ちょっと不確かだが趣旨は間違ってないと思う。

1453年のコンスタンティノープル攻防戦には、多くのヴェネツィア人も派遣され、参加していた。
その中には命を落としたものもいれば、どうにか帰国できたもの、捕虜となり処刑された者、身代金と引き換えに解放された者もいる。

コンスタンティノープル陥落後は、通商で生きるヴェネツィアは、オスマン帝国を相手に
「あれは個人が勝手に参加したことで国としては関与していない」と言い切り(多分お互い信じてはいない)、通商相手をラテン帝国からオスマン帝国に切り替えて存続していく。

しかし、国内では、遺族たちには十分な年金などの補償がなされ、必要な身代金は支払って可能な限り自国民を取り戻した。


コンスタンティノープルのヴェネツィア人は、自分に何かあっても、国が後のことはちゃんとやってくれる、そう信じられたからこそ必死に戦えたのだという。


日本も、政府だけではなく、国民全体(国民ひっくるめて国だ)が、喉元すぎても熱さを忘れることなく
「国に尽くした人に報いる」国でありたい。

【転載】ふつうに経済活動を行うことの大切さ・・

自分の言葉で語れないのが情けないが、またしても本人の許可を得て転載。
相方の友人で私自身も面識のあるファイナンシャルプランナー、カン・チュンドさんのメルマガより。

カンさんは、東京在住。大量の帰宅難民を出した地震当日には、事務所を開放しますと呼びかけてました。

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これから被災地で必要になってくるのは、
「希望」であり、そして「お金」です。

わたしたちが【ふつうに経済活動を行い】、
そして、「ポジティブなマインド」を持ち続けること。

それが被災地に
「希望」を届けることにつながります。


また、「お金」については、
各人ができる範囲で寄付金、義援金をお送りすること。

(わたしも少額ですが、義援金をお送りさせていただきました)


しかし、何より重要なのは、
【ふつうに経済活動を行うこと】でしょう。


あなたがいつも行っている駅前のドトール。

そこでバイトをしている女性は、
宮城県出身の大学生かもしれません。


いつも行くスーパーに食材を搬入している運送会社の男性は、
福島県出身の人かもしれません。


あるいは、
あなたが友人とたまに行く居酒屋さんで働いている若者は、

岩手県出身で、
故郷にご両親と祖父母を残している人かもしれないのです。


あなたが
【ふつうに経済活動を行うこと】で、

(飲みに行くことも立派な経済活動です。)


被災地出身の方々が所属する
お店、会社に利益がもたらされ、

ドトールでバイトをしている女性、
運送会社の男性、
居酒屋さんで働いている若者が、

ふるさとにお金を送り、
温かいことばを掛け続けることが可能になるのです。

◆ 人は目に見えないところで、
お金を介してつながっています・・。


そして、もう少し時間が経ち、
被災地が落ち着きを取り戻し始めたあとの話ですが、

東北地方に旅行することも、
ひとつの支援だと思います。


「こんなときに、何を不謹慎な!」と
思われるかもしれませんが、


わたしは阪神大震災で被災したとき、

【頼むから、自粛なんかしないで観光に来てくれ!】
と願ったものです。


お金を使うこと、お金を回すことが、
広い意味での被災地支援、復興支援につながることを

どうかお忘れなきよう・・。

< ブログに下記情報を書かせていただきました >
  http://tohshi.blog61.fc2.com/ 

東日本大震災に関するマネー関連情報(その3)
東日本大震災に関するマネー関連情報(その2)
東日本大震災に関するマネー関連情報(その1)

2011年3月17日

西の労働者が、震災のために今できること

相方が書いた文章を勝手に転載しておく。

年収の1%を義援金にすることを提唱します。

今,現実に仕事をもって働いている人は,その仕事を離れるわけにゆきません。
幸いにして仕事がある人は,ボランティアに出かけるより,街頭募金に立つより,今その仕事に集中してお金を生み出し,これを被災地に届けることが,もっとも有意義な支援策であると考えます。
この際,自分の3日分を被災地のため,ひいては我が国のために,使いませんか。
年間300日働くとして,1%。年収の1%です。

仮にボランティアに出かけるとして,仕事を空けられる期間はせいぜい1週間でしょう。ならば移動時間や段取りを考えると,実質3日というところです。
これが,3日分を目安とした理由です。